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協同組合の歩みhistory

2017.12.20 Wed協同組合の歩み

「協同組合と民間企業は何が違うのか?」-稀にこういった疑問が組合に寄せられることがあります。私たち大阪府保険医協同組合は「協同組合」の強みを活かしながら日々、活動しています。ぜひ組合員のみなさんにもご理解頂けるよう、このページでは協同組合の成り立ち、大阪府保険医協同組合のこれまでの歩みをご紹介します。

※なお、本文は昨年の協同組合ニュースに連載したものに加筆修正したものとなります。

●協同組合の始まり―協同組合の源流を探る

 協同組合が生まれたのは1800年代中期。当時のイギリスでは産業革命後の大恐慌ですさまじい貧富の差がおこっていました。1844年、イギリス・マンチェスターのロッチデールという町で、産業革命期の実業家ロバート・オウエン※の考え方に共鳴した、織物工など28人の労働者が、自らの手でより良い社会を生み出そうと「ロッチデール公正開拓者組合」を設立しました。
彼らは、1年がかりで1人1ポンドを積み立て、同年12月、倉庫の1階に最初の店を開き小麦粉・バター・砂糖・オートミールの4品を販売します。これが世界で最初の「協同組合」の誕生でした。組合は原則を定め、1.購買高による剰余金の分配 2.品質の純良 3.取引は市価で行う 4.現金取引 5.組合員の平等(一人一票制) 6.政治的・宗教的中立の原則 7.組合員の教育促進、などの「ロッチデール原則」を生み出しました。この原則は今日の世界の協同組合原則に受け継がれています。

協同組合運動の特徴
・組合員自身(消費者)が運営や議決に参加し、民主的な運営を行なえる。
・利潤第一ではないからこそ組合員の立場にたった運営ができる。
・組合員が団結することにより、よりよい社会を目指した社会的運動が担える。

※世界で最初の協同組合
ロッチデール先駆者協同組合(現在は博物館になっている)

※ロバート・オウエン Robert Owen
(1771年5月14日-1858年11月17日)
イギリスの社会改革家・実業家。人間の活動が環境によって決定される、とする環境決定論を主張した。子どもの工場労働を禁止し、世界で初めての夜間学校をつくるなど、現在の協同組合の基礎を作り、当時の労働者に大きな影響を与えた。

●大阪府保険医協同組合はどのように誕生し、発展してきたか(1972年~1978年)

 1972年4月15日、大阪府保険医協同組合の発足記念パーティーが開催されました。
当時第二次大阪府保険医協会が発足しており、それ以前の運動の教訓から、日常世話役活動に力を入れることが運動の教訓とされました。
また当時大都市部では、光化学スモッグなど環境汚染がまん延し、「公害をストップさせ青い空をとり戻そう」という運動が広がり、全国に革新知事が次々誕生する中で大阪府でも当時の社会党、共産党の「革新統一」で黒田了一知事が当選したところでした。
当時、認可は難しいと思われていましたが、黒田知事(当時)の機敏な判断で設立が認可されました。これは開業医運動にとっても「画期的な意味を持つ」と言われました。
それに対して発足当初から協同組合として医薬品を扱ったため、大手製薬メーカーなどは流通機構が一変するのではと危惧したと言われています。
当時発行を開始した「医薬品共同購入価格表」を全組合員に送付すると、市場価格が定まっていなかった医薬品価格に風穴をあけ、市場を左右するものとなりました。そのため大手製薬メーカーからは「価格表」の発行をやめるように要請がありました。「価格表」の発行は医療業界における通販の先駆けとして、その影響は基本的に今に繋がっています。
その後1974年、第4回総会で「五大事業計画」※が決定され、500万円増資活動(総会時総出資金1,000万円)、堺出張所の開設(現在は閉鎖)、共済制度の強化などが決定されました。また、第1回「協同組合まつり」(2012年から「保険医まつり」に改名)を1978年に開催。当時の出展業者数は13社。保険医協会総会会場での展示会販売を、独自の取り組みとして初めて開催しました(昨年の第39回保険医まつりまで毎年開催)。
同年大阪府保険医協会とともに北区天満橋にあった事務所を現在の浪速区幸町に保険医会館を竣工、移転しました。

※五大事業計画とは-1.増資運動、2.堺出張所開設、3.共同購入・共済事業・サービス活動(建築、税務、他)、4.地域組織つくり、5.保団連近畿ブロックとの連携

●協会会館建設。新しい飛躍の10年から20年へ(1978年~91年)

 1977年も押し迫ったころ、それまで大阪市北区天満橋のテナントビルを事務所に活動していた大阪府保険医協会、歯科保険医協会、協同組合は、自己資金と会員からの債券を募って現在の浪速区幸町1丁目の土地に3階建て(延べ160坪)の新会館を竣工させました。
そして翌年1978年から本格的に新会館で業務を始めました。
その年マスコミによる「薬づけ医療」キャンペーンがおこなわれ、医師と患者を引き離し、受診抑制などの結果をもたらそうとする狙いに対抗するため、協同組合では薬による治療の正当性と診療報酬の低さの是正などを訴え「協同組合版(組合ニュース)」でもシリーズで反論しました。一方銘柄別薬価収載がスタートし、大手製薬メーカー優遇、中小製薬メーカーの淘汰などを生み出すことが予想され、これに対しても協同組合では反対する論陣を張りました。現在もオプジーボなどの超高薬価収載の問題が改めて浮上しています。協同組合の医薬品販売については当時からジェネリック医薬品の商品を多く扱っていました。同年9月23日保険医協会総会にて記念展示会を同時開催。医療器材を中心に31社の出展がありました。しかし組合員から生活用品など幅広いバザールの開催の要望が出され、それに応えるため、12月9日、10日の2日間、「第1回協同組合まつり」を大阪テキスタイルセンター(箕面市)で独自開催し、13社の出展業者の協力をいただきました。
1981年は創立10周年の年、盛大に記念レセプションが催されました。その5月の総代会では組合員1,500名、年間売上9億円に到達、保険医協会とともに発展を続けました。新会館を建築して5年後の1983年1月、第一期会館に隣接して5階建ての新会館が増築され、保険医協会総会・協同組合総代会など自前の会館で開催できるようになりました。
1988年は竹下内閣のもと、消費税法案が浮上し、結果的には翌年3%の消費税がスタートすることになりましたが、成立するまで保険医協会とともに法案に反対し、10月30日大阪府民集会に積極的に参加しました。その2年後、1990年第13回協同組合まつりは、第5回保団連医療研究集会が大阪で開催されたこともあって、他府県の参加者が多く、「まつり」始まって以来の4,500人の来場者数を記録しました。また前後して同年5月の総代会で当時朝日放送「ニュースステーション」のコメンテーター小林一喜氏の記念講演が実現し、140人の参加をいただきました。
1991年保険医協会30周年、歯科保険医協会、保険医協同組合20周年を祝って、協会会員から合唱団員を募集して、うたごえ運動の協力をいただきながら「いま生きるフェスティバル」を企画、9月29日の開催日は沢山の出演者と参加者が集う場となり、保険医協同組合もその一躍を担いながら20周年を締めくくりました。

●協同組合会館建設、さらなる事業の発展をめざす(1991年~2017年春)

 1991年は国際的には節目の年、1986年から始まったバブル経済は1991年3月に崩壊、その後の経済不況が始まった年でした。 また世界の政治の動きでは、それまで世界を二分していた冷戦体制の一方の大国ソ連が、12月にゴルバチョフ首相の退陣と同時に崩壊しました。そういった国際的な変化に影響されながら、日本経済は低迷し、不良債権問題などによる金融危機の時代を迎えます。また社会保障・医療は自民党政権の「臨調行革」路線によって総額削減の方向に進んでいきました。
保険医協同組合も患者受診抑制、診療報酬削減など、医院経営の厳しさと協同組合自体の経営もかならずしも順風満帆とはいかない状況で、経営改革が急務でした。
そんな中1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生。阪神地域は甚大な被害を受けましたが、協同組合では医薬品・医療材料・水など、全国から送られてきた支援物資の配送を、全事務局が一丸となっておこないました。2月には、当時の木村弥太郎理事長・宇恵専務理事が海上ルートで兵庫県保険医協会を訪問。激励と支援金の手渡しをおこないました。その後協同組合販売システムの改革を何度か繰り返し、経営の安定に努力しました。
2004年に、それまでも温めてきた課題として独自会館建設が浮上し、その具体化に努力する中、隣接地の売却による土地の確保が実現し、まもなく建設が始まりました。2005年2月28日に協同組合会館が完成。3月19日に落成披露宴を開催し、多くの関係者がお祝いに駆けつけました。この新会館を足掛かりに、2007年7月からインターネットによる共同購入利用(Web共同購入)の開始、2008年7月からは完全配送宅配に移行、商品企画に専念する事務局を増やしました。
2009年5月に第39回通常総代会にて現中村厚理事長が就任、新しい標語「安心・信頼・満足を届けたい」を決定。理事・事務局の1泊学習セミナーも19年ぶりに開催しました。その間、他府県への販売「M&Dネットワーク事業」を未参加の保険医協会に働きかけ、その後全国30以上の保険医協会会員に共同購入の案内をし、商品供給することになります。 新体制2年目の2011年3月11日、阪神・ 淡路大震災から16年目、東日本大震災が発生。協同組合では、M&Dネットワークのシステムの強みを生かし、被災地3県への医療物資の供給について保団連を窓口にしておこなうことができました。

今年は協同組合設立から45年、保険医まつり40周年の節目を迎え、共同購入、保険共済、生活関連などの各事業をさらに発展させるため、協同組合ニュースの復活を手始めに保険医協会としっかり力を合わせ、全国的な展開も視野に事業を拡大しようと進めています。
協同組合は組合員のための組織であり、日常的な組合員の努力により運営・維持されています。協同組合が果たしてきた役割に確信を持ち、いま、この新たな時代に対応できる組織づくりを進めていくためにも、協同組合の理念にご賛同いただき、一人でも多くの組合員の加入・ご利用をお願いいたします。